光の翼

15年以上のマンハッタン生活を経て後、今度は日本に生息地を移して、なんちゃってジャパニーズとして経験したことを綴っております。ただただ気まぐれに書いています。

今日は天気がよかったので、やっとのことで紅葉観賞に行ってきた。
しかも日本で初路上ドライブ。
でも道が全然分からないので、母に犠牲になってもらって、助手席に乗ってもらった。
行ったのは、友人がきれいな写真を撮っていた、光明寺。
うちからも車だと近いので、初乗りとしてはちょうどいい。

道はやっぱり狭くて、車をすらないようにヒヤヒヤしながら運転していた。
特に、人や自転車が行き交うような道は、緊張。
プラス、電信柱が本当に邪魔ねー。

平日なので、まあなんとか車も停められるのじゃないか、と思って車で行ったのだけれど、やっぱり空いてはいなかった。
観光バスや、団体観光客がいっぱい歩いている。
車はなんとか駐車できたのだけれど、駐車場代に1000円取られる。
それも12月3日までだそうだ。
皆、ここぞとばかりにお金儲けに走っているらしい。
ま、でも、交通整理員とかを雇っているんだから、それぐらいは必要か。

紅葉はもう、見ごろをすぎている感じだった。
でも、それ以前に、葉の色づき具合があまりよろしくないようで。
やっぱり暖かい秋だったからねえ。
でもまあ、やっと重い腰を上げてきたのだからと、写真を撮る。
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DSC01277.jpgムクの木の黄色もきれい・・・

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落ち葉も結構あり、その場で見ていると、そんなにきれいとも思わないのだが、写真に撮ると、それが結構いい味出している感じ。
にしても、一番良いスポットで写真を撮ろうと思ったら、人の波を入れずには撮れない。
写真第一に考えたら、本当に、朝一番とかに来ないとだめだろうね。
でもその時、日の当たりが良いかはまた別問題なんだよねー。
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屋根の上の落ち葉

実はこの光明寺、私や兄弟が子供の頃、お稚児さんの行事をやったお寺。
写真で覚えているだけだろうけど、顔を真っ白に塗り、赤い着物を着せられて、金の冠みたいなのを頭にのせて、母親に手を引かれてこのお寺の回廊をクルクルと歩いた。
冠は重かったけど、なんかお姫様にでもなったかのようで、うれしかったような気がする。
弟たちのときは、私はもう既に大きかったので、下から見ていたと思う。
弟たちも、顔を白く塗られて、青い着物を着て、手を引かれて歩いていた。
一番下の弟2号は、半べそだったようだ。
なんかすごい懐かしい。
DSC01274.jpg歩いたのはこの回廊


そのあと、近くの食事処でお昼を食べたら、すんごいお腹がふくれてしまい、行こうと思っていた小倉山荘での甘いものまでたどり着かなかった。
仕方がないので、買い物をして家に帰った。
無事に家に着いたとき、母が一言、
「あー、肩凝った。」
と言っていた。
やっぱり私の隣に座って、緊張していたらしい・・・。
お疲れさまでした。
もっと練習しなくっちゃ。
(でもきっと、父を隣に座らせたら、あーだこーだとうるさく言われて、緊張するばっかりで、途中で喧嘩になると思うし・・・)

DSC01289.jpg青空と紅葉

DSC01284.jpg日の当たった紅葉


これで私も紅葉記事仲間に参加できました・・・。(笑)
東京に行く気にならないと書いたばっかりだが、今日、ネットしてたら、出雲大社で12月1日から神在祭が始まるという情報を得た。
神無月は10月なので、てっきり10月にそういった祭事はなされていると思ったら、旧暦で行われるため、今年は、12月1日からなんだそうだ。
神無月とは、すべての神様が神社からいなくなって、出雲に集まってくる月のこと。
だから神無月は、出雲では、神在月と呼ばれる、とか。

思わず、行きたいなーと思っているんだけど、宿が取れるのか?が問題。
12月1日の祭事に参加するとなると、前日から行ってる必要があるから、11月30日の宿の確保が必要だ。
んー、ちょっくら行こうかなー、どうしようかなー、と思ってる次第である。
一度、出雲大社には行きたいと思っていたし、どうせ行くなら、神在月にと思っていたので、10月が終わった時点で、今年は無理だなと思ったけど、こんな形でチャンスが巡ってきちゃった。
明日にでも、宿があるか、調べてみるかな。

誰か一緒に行きたい人、いる?(笑)


後日談→結局宿が見つからず、行くの止めました。出雲市駅前とかならあるっぽかったけど、今回はレンタカーは考えていなかったので。もうちょっと運転練習して、レンタカーしていろんなとこに行けるようにしたいと思います。
東京に遊びに行こう、行こうと毎日のように思っている自分がいる。
しかし、思うばかりで、全く煮え切らず、そうこうするうちにもう帰国してから2ヶ月になろうとしている。
いまいち、「よし、行くぞ」と思うきっかけが見つからないのだ。

今まで、一時帰国したときは、期間が限られていたので、その中から約1週間ぐらいは東京で過ごした。
いつも友達のアパートやマンションにお世話になった。
東京に行くと言っても、特にどこかに行きたい所がある訳ではなく、ただ友人に会うために行っていた。
今度またいつ日本に帰ってくるか分からないのだから、できるだけ沢山の人に会っておこう、という感じだった。

しかし、今は引き上げてしまったので、まあ、ある意味、いつかはあえるさ、という気軽さが、反対に足を引っ張っているようだ。
この寒さも理由の一つかもしれない。
また、東京に行くことの、明確な魅力というものが、私の中にない。
もちろん、友人たちに会いたい、とは思う。
でも、ゆっくり行ける訳ではないし、やはり1週間ぐらいの期間で、慌ただしく友人に会うというのも、なんか魅力ない。

それとまた、泊まる所も頭痛の種。
今までは独身の友人がいたので、そこに転がり込ませてもらっていたが、結婚したり、東京からいなくなったり、なかなか気軽に「泊めて♪」とお願いできる人がいない。
弟が2人住んでいるけど、一人は寮だし、一人は家族持ち。
家族持ちの方は一軒家に住んでいるので、そこに泊めてもらえば良いや、と気軽に考えていたが、いざ頼むとなったら、なんか、気軽に頼めないもんだ、ということに気付いた。
1日2日なら、向こうだってまあ良いと思うだろうけど、1週間とかになると、まあ嫌だろう。
なんと言っても、私自身、あんまり気を遣ったり遣われたりしないでいい状態がいい。
だって、いつ帰宅が遅くなるか分からないし、そんなときでも、「勝手に好きにして。先に寝てるから」と言ってくれるような状態に越したことはないのだ。
それを家族で住んでる人に望むのは、身内でも、友人でも、なかなか無理というものだろう。
そうすれば、ホテルとかに泊まることになる訳で、その出費も考えると、またまた足が遠のいてしまうのだった。

行けるうちに行っといた方が良い、と思うのだけれど、行くための理由付けを一生懸命探している自分がいる。
そんな状態なら、行かない方が良いんじゃない、という声も聞こえる。
そんな感じで問答が頭の中で続くのだ。
どうする、どうする、と言ってるうちにどんどん日がすぎていく。
ぐだぐだと過ごしてきたこの2か月間に、東京に行くことは刺激を与えてくれるだろうか、とも思う。
でもやっぱり、こうやって悩んでる間は、行かないほうが良いかもな、とも思う。

だんだん年末に迫ってきて、なかなか仕事を探す気分にもならないし、こんなときは、無駄に動いてもだめなのかも。
「よし、やるぞ!」って気分になるまで、待った方が良いのかもしれないな。
でもそう思って、長い時間が過ぎてしまいそうで、ちょっと怖い気もするが・・・。
寒くなってきました。
私は寒いのが苦手です。
朝起きて、「さむっ」と思うのが一番嫌い。
アメリカでは、大体部屋の中は暖房が効いていて、朝起きたときに寒いから布団から出たくない、というような気持ちになることはまずなかった。
でも、今は日本なので、朝起きると、さむっと思う。
そして、このさむっの中で服も着替えないと行けないのが、これまた億劫。
暖房入れたらええやん、ということなのだろうが、なんかそれにはまだちょっと早い気がしてしまう。
つい最近まで半袖のTシャツ着てたせいもあるのだろう。
でもよく考えてみたら、もう12月に突入しようとしているのだけどね。

朝一番で、この、「さむ〜」と、「億劫」に襲われると、その後のすべての行動が億劫になる。
予定があれば、その予定にあわせて行動もするが、何となく「〜にでも行こうかなあ」と思ってるぐらいだと、億劫さにかまけて、行かなくなってしまうことも度々ある。
一度億劫と思ってしまうと、とたんに腰が重くなり、気がついたら、出かけるには遅い時間になってしまっていたりするのだ。
だから、そんな億劫病にやられて、紅葉も見に行っていない。
寒さだけではなく、人の多さに対する億劫さも重なって。
京都に住んでる宿命やね。
なので、家の庭にある紅葉で、ごまかしている。

これからもっと寒くなるというのにね〜。
大丈夫かな、わし・・・。

(以下、長々と書いた文章があったのだが、突然消えられて、ムカついたのと焦燥したので、書き直すことなく、ここで終わっちゃいます。)
2008年分のアメリカのグリーンカードの抽選の応募が始まっている。
すっかり忘れていた。
昨日、ふとそれに気がついて、応募はいつまでなのか、ちょっと調べた。
12月3日までだった。
あと、1週間ほどで締め切りだ。

不思議なことに、その時私は、応募しなくちゃ、と言う気持ちにならなくて、ちょっとびっくりした。
もちろん、どうしよう、と自問はした。
その時、「もちろんしなくっちゃ」ではなく、「どうしようかなー」って感じだった。
今まで、14年間、毎年応募してきたものだ。
日本に戻る前は、これからも続けて応募はしようと思っていた。
それで当たれば、ラッキーじゃん、ぐらいに思っていた。
なのに、実際には、食指が動かない。
なぜだろう?
それだけ、アメリカという国が、自分の中で魅力を失ってしまったのだろうか?

実際、もしあたったと仮定すれば、グリーンカードを取得した時点で、アメリカに渡らなければならない。
それはまた、仕事も何もない状態で、とりあえず向こうに渡る、ということになる。
それには全く魅力を感じない。
結局、私は、アメリカで成し遂げたいこと、って言うのは特になかったのかもしれない。
まあそれも、こっちに帰ってきたばっかりで、特にまだ嫌なこともないし、こっちの生活を楽しんでいる段階だからかもしれないが。

今まであんなにこだわっていたグリーンカードだったのに、自分の状況が変わったら、こんなにあっさりと興味のわかないものになりうるものだったのか。
不思議だ。
アメリカにいた自分を遠く感じる。
テンションが低い。
でもそれも新たな自分。
驚きと共に、面白いな、と思う。
昨日、Cさんと、二人っきりのこっそり隠れ家オフ会をしました。
そもそも、彼女が自身のブログで以前、隠れ家っぽいカフェのことを書いていらっしゃり、私がそこに行きたいということで、このオフ会が実現しました。
ブログから感じるCさんと、現実の彼女とは、あまり違和感なかったような気がします。
見た目は予想通りという訳ではなかったと思うのですが、でも見た目から醸し出す雰囲気というか、そういうのはそんなに違和感なかったかな。
(ちなみに、Cさんからは、ブログでの印象より、実際の方がもっとアダルトな感じ、と言われましたー。)

早速その隠れ家的カフェに連れて行っていただいて、なんやかやと長話してしまいました。
そのカフェは、どう見ても美容院に繋がっているようにしか見えないビルの入り口を入っていった5階にありました。
でも、彼女のブログに載っていた写真を見たときは、まるで半地下にでもあって、そこから外の景色が見える大きな窓のあるような感じに見えていたのですが、実際は全然違いました。
なんてっても5階ですからね。
夕暮れ時には、きれいな夕日が見えるらしいのですが、昨日は残念ながら曇り。
夕焼けを見ることはできませんでした。
でも、だんだん外が暗くなってきて、中も薄暗ーくなって来て、いい感じです。
若い人たちがいっぱいいました。
夜はバーっぽい感じ。
大学芋パイがお薦めらしいですが、大きそうだったので、昨日は、きな粉と黒蜜のパフェ1個を二人でシェアしました。
んで、なんか落ち着くこの隠れ家カフェで、気がついたら何時間もコーヒーとパフェだけで粘ってしまってました。
ニューヨークだったらいやがられてたかも。
まあでも、待ってるお客さんはいなかったので、営業妨害はしてなかったと思うのですが・・・。
カウンターもあるので、一人ででも食事できそうです。

Cさん、どうもありがとうございましたぁ。
家の外でトイレに入ると、時々、トイレットペーパーが三角形に折ってあることがある。
これが例えば、レストランとかが開店してすぐの時間帯だとか、トイレットペーパーが2つあって、使われていない方が三角に折られているんだったら、別に何とも思わないんだけど。
しかし、どう見ても先に誰かが使っていて、私の一人前に入ったのがそこで働いている人じゃなかったら、それは一般の人(客とか)が、わざわざきちんと折る、ということだ。
これが不思議だ。
まず、全然必要じゃないし。
でもまあ、百歩譲って、働いている人が良いサービスの一環として、まあ見栄えが良くなるとかの理由で実施しているのは、良いとしよう。
しかし、別に良いじゃん。
トイレットペーパーが切りっぱなしになってても。
これ、三角に折っておいてあげるというのは、次の人に気を遣っているというバロメーターになるの?

イヤー別に、どうでもいいと言えば、どうでもいいんだけどさ。
私は特に次の人のために三角には折らないしさ。
でも、いつもこの三角トイレットペーパーに巡り会うたんびに、こういうことを考えちゃうんだよなー。
それで、そんなことを考えてしまうがために、この状況に陥ったときに、三角に折らないことへのちょっとした罪悪感と、日本人から逸脱してしまったかのような気持ちに、ほんのちょっとだけさいなまれるのであった。

んで、あなたはどっちですか?
自分がトイレに入ったときに、トイレットペーパーが三角に折ってあったら、自分が使ったあとも三角に折っておきますか?
それとも、切りっぱなしで放っておきますか?
と言うことで、本日朝一で再度運転免許の技能テストを受けてきましたー。
そして、無事、合格〜!!!
イエィ!
ギリギリセーフだったけど、受かったんだからそんなのどうでも良いもーん。
今回も試験官2名で、後ろに乗ってたえらっぽい方の人は、終わってから、「なかなかよかったよ」と言ってくれた。
きっと日本の試験官は、本当に細かーい所で減点してるんだろうな。
小雨が降っていて、ワイパーしながらの試験だったけど、あっという間に終わった。

しかーし、受かってからが長いねえ、日本は。
だって、試験が終わったのが9時半前。
そのあと、適性検査を受けて、合格した書類を提出。ここまでで9時半過ぎ。
そこで呼ばれて言われたのが、「11時半に写真を撮って、お金を払ってください。そして免許の交付は1時半になります」だった。
え、今から2時間待って、その後また2時間待ち?
お役所のお昼休みが入るとはいえ、これ何とかならないの?
だって、試験を受けるのに、写真を提出してるんだから、写真はそれを使うか、もうその時点で免許用の写真を撮るとかしようよ。
もしくは、パスポートなどの顔を確認できるIDを受験時に持ってこさせるとか。
なんで2回も写真とって、2回分払わなあかんの?
効率悪うぅぅぅ。
しかもこの写真、人に撮ってもらうより、この試験場の中にある機械で撮った写真の方が良い気がするのは気のせいか?
しかも親切だし。
人がいっぱいいて、ぱっぱと撮らないと行けないのは分かるけど、座ってからちょっと直すぐらいの時間はちょうだいよ、って感じ。
こりゃ、変な顔になっても仕方ないわ、って言う撮り方してくれるよね。
やだよねえ。

まあ時間のことは、私の場合が特殊で、一般の人のテストが終わる時間がもっと遅いからそうなってるんだろうけど。
結局私は、その試験場から車で10分強のところに住んでるので、途中帰ることにした。
だって、2時間も待ってられないよ、いくら何でも、
前に喫茶店とかあるけど、2時間も居座るのは、ねえ。
なんかこのご時世で、いろんなものが便利になっていってるのに、本当にお役所関係は全然変わらないね。
伝統とか言う言葉で、お茶を濁してるんだろうかね?
お金になることは、どんどん利便性バージョンアップするけど、お金にならないことは、全然変わらず、時代遅れとなってしまったまま、って感じだよね。
そんなことない?

これで運転はできるんだけど、バックでの駐車とかができない(アメリカじゃあそんなのやったことないし)ので、その練習をちょっとしようと思ってます。



カナダ旅行記3日目3編アップ中
こちらへどうぞ!
(下から読んでくださいませ)
いやー、ひっさびっさに新体操をテレビで見た。
それこそ15年ぶりじゃないだろうか?
アメリカに行ってから全然見ていなかった。
新体操は、アメリカが全然強くないので、テレビで放映などまずしない。
スポーツチャンネルでたまーにやってるのかもしれないが、ケーブルに入っていなかった私は、どちらにせよ見れる機会がなかった。
日本にいた時は好きでよく見てたもんなあ。

今日も、見ようと思っていた訳じゃなく、テレビのリモコンをカチカチ触ってたら、それに行き当たったんだけど。
相変わらず、みんな異様なほどに柔らかく、信じられない技を見せてくれたよ。
日本勢も強い訳じゃないけど、日本じゃ一応放映するんだね。
まあ、すんごい深夜だったけど。
それなりに見る人がいるということなんだろうか?
ええもん見せてもろた。



旅行記は、2日目まで書き終わって、アップしてまーす。
私がカナダ旅行でたーいへんお世話になったマイミクのホセさんが、このクリスマス前の時期に、こんなにすてきなカードの限定販売をなさっています。
ご興味のある方は、ぜひ見て心を静めてみてください。
静寂庵GALLERY from Canadian Rocky
見るだけでも、良い空気にふれあえますよ〜。

それから、カナダ旅行記ですが、ひっそりこっそりと更新しているかもしれません。
実際に旅行した日にちで更新していくので、「最近の記事」には載りません。
興味のある人は、Travelから見てもらえますー。
密かーに楽しんでくださいませ。

それから、あさっての日曜日、京都スピコンがあるみたいなんですけど、スピコンって行ったことある人いますか?
ちょっと恐いもの見たさな感じなのですが、行ったことある人いたら、どんな感じなのか教えてくらっさい。
よろしくでーす。
今日、実際に運転免許書き換えにトライしてきた。
まず、書類を提出。
不備がなければ、今日テストが受けられるはず。
名前が呼ばれて、筆記試験会場に招き入れられる。
はいってみると、私一人。
私一人のために、試験管が一人つき、簡単な正誤問題を10問解く。
なんか引っかけのような、分かりづらーい日本語のものもあるが、なんとかクリア。
そして、お昼休憩を経て、技能テストへ。

指定された場所に行くと、試験官のようなおっちゃんが2名。
ブレザーを着た、偉い感じのおっちゃんが、いろいろ説明してくれるのを、はいはいと頷きながら拝聴する。
で、乗り込もうとすると、おっちゃんたち2名ともが乗り込む。
「え、テストって、試験官が2人もつくの?ちょっと緊張倍増やん!」
と思いつつ、運転席に乗り込んで、椅子をあわせて、バックミラーを調節し、シートベルトをつける。
そして、いざ、出発という時、後ろに乗ってたブレザー試験官が、
「ちょっと、シートベルトねじれてんのんちゃう?」
と、余計なことを言う。
シートベルトねじれてたらあかんなんて、聞いてへんでー、と思いつつ直すが、もしこれ、後ろのおっちゃんが言わへんかったら、隣に座ってるおっちゃんは気付いてなさそうやった。
んもー、いらんこといわんでええのにー。

そして、先週の土曜日に練習運転した、この試験場を走った。
クランクもS字もスムーズに行った(そう、外免の切り替えテストで見るのは、クランクとS字のみ!って知ってた?パーキングとかは、ないのだー。)ので、何とかなったかな、と思っていたが、終わってから説明を受けると、
「今回は、あきませんでした」
とのこと。
試験官が持ってた採点表を覗いたら、これ多分、最初のシートベルトの件がなかったら、ギリギリ受かってたと思う。
んもー、なんてこと!!!

最初に、外免切り替えやから、採点も甘めやっていうてはったけど、絶対違うと思うわ!
そういえば、誰か前に、外免の切り替えは厳しくて、まず最初は大体落とされるとか、聞いたことあったような気も。
また来ないかんし、お金もかかるやん。
しかも、再テストの時は、受付が朝の8時半から9時の間。
めちゃ早起きしてこなあかん〜。
むかつくので、今週土曜日にまた練習に行って、来週月曜日に早速リベンジしてやるー。
早く免許とって、バックでの駐車と、縦列駐車の練習したいねん!
がんばるでー。
こっちに帰ってきて、自分用のシャンプーなんかを買おうと、近所のドラッグストアに行ったとき。
リンスがどこにもないのにびっくりした。
15年いない間に、リンスは、アメリカ化して、コンディショナーに変わっていた!!!

アメリカ行ったとき、同じようにびっくりしたのを思い出す。
やはり、リンスを探せども探せども見つけられなかったのだ。
リンスは英語で、アメリカでは普通にリンスとして流通していると思い込んでいた。
しかし、リンスと言う単語は、英語ではあるが、純粋に訳すと洗い流す、洗浄するという意味になる。
それがどうして、シャンプーの後のコンディショニングするための名称になったのかは不明。
でも、本当に、普段普通にカタカナ単語を使っていると、いつの間にかそれが当たり前で、普通に海外でも同じ意味で使われていると思い込んでしまう。
だから、アメリカにいる間は必ず、シャンプーとコンディショナーはセットだった。
けれど、日本に帰ってきたら、セットはシャンプーとリンスだと、信じて疑わなかったのに。
しかも、母親の口から、「今じゃもう誰もリンスなんて言わないよ」なんてことを聞いた日には、すっごい逆カルチャーショックだった。

一体いつ頃から、リンスは身を潜め、コンディショナーへと変身を遂げたのだろう?
なんか興味あるんだけど。
今時の若者は、もうすでにリンスとは何ぞや、の世界なんだろうか?
知ってる人いたら教えてください。
タイトルのメロディ宣伝は、私が作った造語です。
なんて言っていいか分からんかったので。

日本に帰ってから、音楽になった宣伝広告を良く耳にする。
アメリカではそういった記憶がないので、そういうのはあまりなかったんだと思う。
なんかそれがとっても日本っぽい気がして面白い。
そんで、ようそんなメロディとか歌詞とか思い浮かぶなーと感心してしまう。

コマーシャルは、ローカルなコマーシャルもあるので、一概に全国展開的にそうだと言い切れるのか分からないが、例えば、Yamadaデンキ。
これは、コマーシャルだけでなく、店舗に行ったら流れているよね。
「やま〜だでんき♪」って。

ほかにもここ関西で見るコマーシャルだと、なんか車の損保系のコマーシャル。
アニメになってて、コアラが3匹車に乗ってやってくる。
キコキコと駐車場みたいなとこに来て、車をパークし、降りて、歌い踊って、なぜか鼻が携帯電話になってる。
「しゃばだばだっば〜だっば〜だっば〜だっば〜♪」って歌ってるよ。
とか、なんかピアノの宣伝(シュール!)とか、近江建設(ローカルー!!)とか、いっろいろ。
何度も聞くので、それが時々不意に出てきて、口ずさんでしまったりする。(赤面)
しかも元ダンサーなので、あのコアラのコマーシャルには、思わず踊りを覚えようかな、と思ってしまうぐらいだった。
だって、パラパラみたいな感じで、簡単そうだったし。
どうせ口ずさむぐらいなら、踊りもできた方が良いかな?って。(笑)

いやー、他の海外の国ではどうなのか分からないけど、結構日本オリジナルなんじゃないの、この現象は?
皆さんも気に入ってるメロディ宣伝があったら、シェアしてくださいな。
私は元々テレビッ子で、テレビ大好きで、結構テレビつけっぱなしってなことをやります。
今現在、働いていないので、家にいると起きてから寝るまで、一応テレビがずっとついてるなんて時も、あります。
ちゃんとは見ていなくても、ついてる、見たいな。

で、思うのですが、いやー、ニュースの垂れ流し度がひどいね。
アメリカにいた時は、CNNとか、いわゆるニュースチャンネルにあわせない限り、ずーっとニュースを目にするということはなかった。
特に私はケーブルサービスにはいってなかったから、日本で言うところの地上波、民放とNHKにあたるパブリックテレビぐらいしか映らなかった。
今も、スカパーにも、WOWOWにもはいっていないし、大体フツーに民放にあわせている。
アメリカで、民放で見る主なニュース番組は、まず朝の番組の中のニュースコーナー、12時からのニュース、17時からのニュース、そして22時か23時からとなっていた。
そのニュースとニュースの間は、トーク番組だったり、ソープオペラだったり、最近では裁判ものだったり、ドラマやリアリティーショーだったりした。

でも日本では、朝から、ゴールデンタイム(アメリカではプライムタイム)まで、ずっとニュースが垂れ流されている。
しかも同じニュースを、手を替え品を替えるようにして。
コメンテーターが変わったりするだけで、同じニュースについて、何度もやる。
しかも、日本ではそれを連日。
アメリカでは、よっぽどの事件でない限り、同じ事件を何日も報道するということはなかったような気がする。
これ、ずっと見てたら、感覚がおかしくなるのもうなずける気がする。

これで分かったことが一つある。
2001年の9/11の時、現地にいた私と、日本にいる人たちからの心配の声との間に、強烈なギャップを感じていた。
あの当時は、もちろんアメリカだって、ニュースを見ればあのことをやっていたけれど、日本でもこの調子で連日連夜、垂れ流していたら、そりゃ心配するわ。
私が住んでいたところは、グランドゼロから少し離れていたけれど、まるで、マンハッタン島が壊滅したのじゃないか、というぐらいの反応だったもの。

ニューヨークで、1日4度のニュースを繰り返し見るだけでも、なんか世の中悲観的に感じるのに、日本でそれ以上に、こんなに垂れ流していたら、家を1歩出たら危険だ、って言う気になってもおかしくない。
テレビは、1つのネタで、視聴率がとれると思えば、いくらでも垂れ流すから、視聴者の気分がそれに同調しても、おかしくないと思う。

最近も、子供のいじめによる自殺の事件関連が毎日のように放送されているけれど、あんなのばっかり見ていたら、どんどん続けざまに子供が後を追うように自殺していくのも、なんか分かる気がする。
今日の新聞にある人が「もっとポジティブな、昔はいじめを受けていたけれど、今は成功しているような人のことを取り上げるべきだ」とコメントしていたけれど、本当にそうだ。
人の不幸に群がるような、そういうニュースは見ていて気分が悪い。

仕事をし始めれば、私自身はニュースの垂れ流しを目にすることも少なくなるだろうけど、それまでは気をつけた方が良いかもしれない。
テレビから得る情報を、すべて現実だと受け取るのは、危なすぎる。
って、まあもう既に、昼間はほとんどテレビをつけなくなってはいるんだけど。
ご飯時につけてるぐらいかな。
夜はほとんどバラエティーか、ドラマか、ドキュメンタリーしか見てないし。
時々ゴールデンタイムにやってる、討論会みたいなのは、まず見ない。
あれだって、ニュースと似たようなもんだもん。
このテレビッ子の私が、昼間テレビを消しているというのは、ちょっとこの垂れ流しの多さにお腹いっぱい、辟易してきたってことかもしれない。

本日、ほぼ日を読んでいたら、糸井さんと坂本龍一さんの対談が載っていたのですな。
そこで、坂本さんがこんなことを言っていたのです。
「でも、そろそろアメリカにも愛想は尽きたかなってことも思ってますけどね。
なんかね、ニューヨークにいる意味がもうなくなってきちゃって。
昔はなんかあったじゃない?
街にそれぞれの魅力があって、東京がどうのとか、ロンドンがどうのとか。」
と。
彼は永住権を持っていて、1年のうち2ヶ月は日本、それ以外はアメリカで生活しているそう。
税金はアメリカでおさめていて、日本ではおさめておらず、でもアメリカでの選挙権はない。
なぜなら市民ではないからね。
アメリカ人にはなりたくないんだって。
坂本さんは、SoHoの日系人カフェで見かけたことがあります。
常連さんだそうで。

ま、それはさておき、これを読んで、おお、こんな巨匠でアーティストでも、そう感じてるんだ。
ニューヨークにいる意味がなくなってきてるって。と思った。
私も最後の何年かは、そう感じていたのである。
ただ、まだアメリカに対する執着はあったので、そう感じてすぐに日本に帰ってくるようなことはなかった訳だけれど、でも別にニューヨークじゃなくても良いな、とは思ってきた。
でも実際に、アメリカ国内で、移動するのはこれまた大変なことだった訳で。
私の場合は永住権さえも持っていなかったしね。

ニューヨークにいることの意味を見いだしていた時、そこはとてつもない可能性に満ちた、エキサイティングで魅力的な街だった。
しかし、その意味を見失ったとたん、苦しい年月を過ごした。
レストランで働いても、何のために働いているのか分からない。
だってその職をきわめて、それをキャリアにしようという思いがある訳じゃない。
ただ、暮らすためだけに働く。
サバイバルな毎日。
そんな中、いつもビザのことを考えなくてはならない。
運良く、抽選で当たるとか、アメリカ人の彼氏ができて結婚するとか、そういうことになれば良いけど、そうなるまでは、いついつまでも、ビザをなんとかしなくては、と言う考えが、四六時中つきまとう。

それでも、ニューヨークが好きだ、アメリカ人が好きだ、と無邪気に言っていられるうちは良い。
かつかつに生活するだけの収入しかなかったら、ニューヨークにいることの恩恵を受けることが難しくなる。
物が氾濫しているのに、それを手に入れる余裕はない。
見れば欲しくなるのが人情だから、見にも行かなくなる。
出かけるところと言えば、近所のコーヒーショップで、1杯のコーヒーを飲んで本を読むのが唯一の楽しみになっていく。
それはそれで悪くはないけれど、ニューヨークである意味は?
もちろん、私はマンハッタンのど真ん中に住んでいたし、歩けばすぐにいい雰囲気のカフェがあったりして、良くぼーっと過ごしていた。
いまは京都の田舎で、近所におしゃれなカフェがある訳もなく、家でゴロゴロするばかりだが。
そういう意味では、ニューヨークである意味はあったのかもしれないが。(笑)
でも、その当時は、良くそんな風に思った。
なぜ私はここにまだいるんだろう?
なぜ、素直に日本に帰ろうと思えないんだろう?と。
もちろんその時は、アメリカにいることが私を幸せに導いてくれるのだと信じていたんだから、仕方がなかったんだけども。

アメリカにいることの明確な意味を見いだせていないから、永住権が手に入らないのだ、と言われたこともある。
自分の中に意図がないと。
永住権が欲しいと思っていた私は、そういわれて悔しかった。
かといって、偽装結婚してまででも手に入れたいとか、そこまでの根性はなかった訳であるが。

今となっては、何となく納得する。
あれで良かったんだな、って。
日本に帰ってくるのを決めるのに、これだけの年月と、今までおこったすべてのことが必要だったと思う。
それは今の自分に行き着くまでのプロセスだった。
自分を見つめて、幸せの意味を見つめて、悪戦苦闘してきた年月だった。
この15年を、日本でぬくぬくと過ごしてきていたら、今の私はいない。
自分を見つめることも、幸せの意味を探すことも、なかったかもしれない。
今日本に帰ってきて、変だと思うようなことを変だと思うこともなく、ただ当たり前として生きていただろう。

ニューヨークという、アメリカでありながら、とても特殊な土地で、アメリカ人だけでなく、世界中から集まった人たちとかかわり合い、そして、日本では知り合うことなどなかったような日本人とも知り合い、いろんな方角から物事を見つめることができるようになった。
そして沢山のびっくりな価値観と出会い、そのときに自分がどう反応するかを見つめ、自分がどんなに視野の狭い人間だったかを痛感してきた。
他人に腹を立てながら、自分の至らなさを反省した。

まだまだ修行不足だからして、15年もの経験を経た今でも、違う価値観を持つ人を、ニコニコとただ受け入れてあげることができない。
まだ反応するし、むかつくし、なんでそうなんねん!と思う。
視野の狭い、一方向からしかものを考えられない人にあきれ、軽蔑し、情けなく思う。
それはまた、私の視野の狭さをも露呈していることなのだけれど。
いくら、沢山の価値観を経験し、視野を広げ、多角的に物事を考えられるようになったといっても、その中で、また自分の価値観に再構築し直しているだけであるからして。
まあ、本当の意味での視野を広げる、度量を広げる修行は、これからなのだということなんだろう。

ニューヨークにいた意味は、私が当初留学したときに持っていた目的を達成することでもなく、自分のキャリアを積み上げることでもなく、渦中にいたときに頭で考え得ることのできる意味のどれでもなかったように思う。
そして、気付かぬうちに、私にとってのあそこにいる意味を、消化してしまったのだろう。
それは、ニューヨークにいることの意味を超えることでもあったのかもしれない。
だから次のチャプターがやってきた。

でもちょっと思う。
私はまだ意味探しのループから逃れきってはいないのじゃないかと。
これがニューヨークじゃなくなっただけで、しばらくすれば今度は、「京都にいる意味」「日本にいる意味」「この仕事に就いている意味」など、言い始めれば途切れることのない意味探しをしてしまうんじゃなかろうか。
その意味探しをしている渦中にいる間には、本当の答えを見つけるのは難しく、ただ悶々と悩むだけだということも、何となく感じてはいるのだが。
このループから本当に脱出するのは、いつになることやら。

こっちに帰ってきて初めてデパートに行った時のこと。
一人でぶらぶらしていて、化粧品売り場であるブランドの化粧品をみていた。
そこには先に一人のお客さんがいて、店員さんも1人しかいなかった。
まあ、あるものを買うつもりでそこをうろついていたのだが、先客がいたので、ぶらぶらと商品を見ていた。

そしたら、まずびっくりしたのは、その先客のお客さんに待ってもらって、私に話しかけてきたのだ。
気持ちがわからない訳じゃない。
お客さんは大事だし、逃したくないだろうし。
でも、欧米で多いのは、一人接客したらそのお客の用事が終わらないと次のお客へ行くことはない。
次のお客も、忍耐強く、前のお客さんの用事が終わるのを待つ。
それが普通で、割り込みしようとしたところで、まず「お待ちください」と言われてしまうのがオチだし、割り込むこと自体スマートじゃない。
(日本は割り込んでくる人、多いけどね。)
で、まあ、私がもう買いたいものが決まっていて、という状況なら話は早かったんだろうけれど、そうじゃなかったので、ちょっと質問して、前のお客さんに戻ってもらった。
先客が待っている状態では、私もゆっくりと質問したり話したりしづらい。

それで、先のお客さんが帰って、私の方を相手してもらった訳だが。
ほかにお客さんが入ってくると、店員さんがそちらが気になるのが分かり、なんか、ゆっくりしづらいよね。
一人しか店員さんがいないのも、問題かもしれないけれど。

で、買い物をすませました。
お金を払いました。
商品をきれいに包んでもらって、袋に入れてもらいました。
さあ、その袋を頂きましょう、という段になって、驚くことが!
店員さんが、「外までお持ちいたします」というのである!
ここで言う「外」とは、もちろん、デパートの外ではなく、そのブランドの店舗(と言うのか?)と、廊下の境目までと言うことである。
しかして、私がいるのは化粧品売り場。
仕切りらしいものがある訳でもなく、廊下はすぐそこ。
5歩も歩けば外につく。
それをご丁寧に、荷物持ってもらっても、あんまりうれしくない。
私の性格からすると、はっきり言って、面倒くさい。
さっさと商品を渡してもらって、さっさと次行きたいんだけど。
それに、そんなことしてる間があったら、次ぎ待ってるお客さんを相手してあげてください。
とそう思っちゃう。

でも、これ、普通の日本人は、普通にこのサービスがうれしい訳?
そしてこんなサービスを普通だと思い、このサービスをされないと悪いサービスと言うような、そんな感覚なの?
私的には、全然いらんサービスなんですけど。
なんかね、こういう過剰サービスから感じるのは、どこまでもお客さんが上って言う感じ。
私そういうの嫌いなんですよ。
だって、あくまで需要と供給。
客は欲しいものがあって、お店はそれとマッチするものを見つけてくれて、与えてくれる。
もちろん客ありきではあるんだろうけど。
なぜ対等じゃだめなんだろう?
ただ、客側が気持ちよく買い物できるように、こちらのニーズを考えてしてくれるのがすばらしいサービスだと思う。
でも本当にみんなたった5歩のために、荷物を持ってくれるサービス、デパート内で外まで見送ってくれるサービス、そんなのを望んでるんだろうか?
セレブ感を感じることができる、とかそんなの?
わっかんねー。

欧米的サービスが必ずしもいいとは限らないし、そうも思わないし、日本と比べれば、全然サービスは下って場合も多々ある。
でもなー。
なんか無駄なサービスって感じたんだよな。
的外れというか。
これがもし、私が高級ブティックの外にお抱えの車を待たせていて、高級品を目一杯買ってて、で店員さんが買ったものを車まで運んで、お見送りしてくれる、って言うんだったら、なんか普通なんだけど。
とにかく、せめて国外に行く時は、日本のようなサービスを期待しないようにしていただきたい、とだけ言っておこう。

今度もしそういうことがあったら、「結構です」って言ってみようかね。
店員さん、どういう反応するだろう?
今日、昼間に集まった人と話していて、ブログでの印象という話になった。
そこにいた3人の話によると、私のブログでの印象は、小さくて、ぽっちゃりした感じの人で、そのかわいい感じの印象をうまーく使って、ニューヨークでばりばりとやってるって言う感じだったそうな。
自分では、私自身はブログと本人の印象の違いはそんなに大きなものじゃないだろうと高をくくっていたのに、そうじゃないらしい。
まあ、身体的なイメージは別にして、性格の印象も、そんなに違うものなのだろうか?

私は外見的には、背丈もまあまああり、細身で、男顔、声が低めで良く響く、と言う特徴があり、サバサバっとしたタイプであると、多分自他ともに認めるところであろうかと思う。
しかし、内面では、一応(?!)女性であるからして、ちょっと誰かに頼ってみたかったり、弱音を吐きたかったり、かわいくしたかったりというところも、全くない訳じゃない。
で、書き言葉になったときに、目の前に人がいる訳でなく、独白的にいろんなことを書くので、そういう内面が出てくることもあるだろうと思う。
私は時々、一人でいるときに、独り言をぶつぶつ言うことがあるが、そういうときに、子供っぽい自分が出てきたりということは多々ある。
だから、そういう部分で文章を書くこともあるだろう。

ただ、スピリチュアル系にままあるのだが、ブログなんかでは、すっごい良いこと(愛だのなんだの)とか、悟ったようなことを書いて、さぞすばらしい人なんだろうと思って、実際会ったらがっかりって言う人もいっぱいおり、あまりにもブログやHPでの印象と実物が違うと、信用ならんと思ってしまうことがある。
だから、自分はそうならんように、と思っていたし、そうなってないつもりだったのだが。
まあでも、ブログに限らず、声から受ける印象と実物と全然違うなんてことも良くあるんだから、あまり深く考えない方が良いのかもしれないが。
でも、良い意味で裏切られるなら良いけれど、がっかり・・・ってならないようにはしたいもんである。
(とはいえ、こればっかりは、相手が勝手に想像することなので、私がどうのこうのできる訳じゃない。まあ、どんな風に見えても、それすべて自分ということか。)

ちなみに、外見でいうといままでに似てると言われたことのある有名人は、江角マキコ、荒川静香、ある角度から見たときに伊達公子、とかそんな感じ。
自分では全く分からないけどね。
さて、あなたは私のブログを読んで、どんな印象がしましたか?
今日は、友人のSちゃんが、私の誕生日お祝いディナーに招待してくれました。
家では和食が多いのと、久しぶりにガッツリとワインとかも楽しみたかったので、イタリアンをリクエスト。
私のリサーチ力を駆使して、おいしそうなところを調べ上げ、5店ほど候補を挙げて、その中から選んでもらいました。
そして本日選ばれたのは、
Casa Bianca
私はてっきり最近できたお店かと思っていたのですが、聞いてみると15年ほどもやっていらっしゃるそう。
いまのシェフになられてからは、12年ほどだそうです。
こんなおしゃれなお店が、そんな前からあったのですねー。
びっくり。

お食事をしっかり記事に書こうと意気込んでいったのに、実は、久々のいいとこでの食事に舞い上がってしまったのか、すっかり写真を撮るのを忘れた私。
ごめんちゃい。
なんか、スパークリングワインを飲みつつ、沢山のお料理の中から何を食べるかを決めていると、それが楽しくて写真のことなどどうでも良くなってしまった模様。

友人も初めてと言うことで、まずはオードブル盛り合わせから。
それをつまみつつ、お酒を飲みつつ、満席でないのをいいことに、ウェイターさんに質問しまくって、おいしそうなのを決めるのの、なんと楽しいことか。
コースにするかも迷ったのですが、コースはお皿を選べるのではなく、その日のメニューが決まっていたので、それなら、自分たちが食べたいものを選んだ方がいいか、と。
もし何種類かの中から、前菜、パスタ、メインを選べることができていれば、コースというチョイスもあったんですが。
そうすれば、二人で違うものを選んだりもできるしね。
でもそうではなかったので・・・。
それに、定番メニューのほかに、季節のスペシャルメニューが、それこそいっぱいあったので、なんか選びたくなってしまったのですね。

で、本日の私たちのディナー。
オードブル盛り合わせ
フレッシュポルチーニ茸のフリータ
白トリュフのタリオリーニ
キジのロースト(ジビエ)
デザートの盛り合わせ
エスプレッソ/マキアート
スパークリングワイン、ハーフボトルと赤ワイン、フルボトル
と相成りました。
もう、めっちゃおなかふくれましたが、すべておいしく、満足でした。

外食も、たまには居酒屋風のものではなく、こういうのもとっても楽しいです。
その後、場所を変えて、京都駅のとこのホテルのバーで、ナイトキャップを1杯。
最後のお酒を前に、まただらだらと話していたら、思いっきり終電を逃しました!
日本に帰ってきてから、初のタクシーに乗って、帰宅しました。
ちょっと、ちゃんと道の説明できるかどきどきしながら。
碁盤の目の中にすんでいたら、住所言ったらつれてってくれると思うのですが、私の家は外れているので、ちゃんと説明しないと行けません。
ニューヨークのマンハッタンに住んでた時のようには行きませんね。

とにかく、おいしいお料理をゆっくりと楽しんで食べることができたので、大満足いたしました。
Sちゃん、本当にありがとう!!!
ごちそうさまでした。
時々、こういうのまたしようね。
もちろん割り勘で!

(でもいま思えば、もしかしてSちゃんの予算を超えていたかも!もしそうなら、ごめんよ。こんどはいつか私がごちそうするからね!!!)
11月に入っても、まだ蚊がいるってどういうことっすか?

ニューヨークにはあんまり蚊はいなかった。
それでも、もしアパートの部屋が中庭に面していたりして、外が緑が生い茂っているような状態だったら、蚊もいたみたいだけど、私が住んだところは、幸か不幸か道に面していて、外に緑を見ると言うこともなく、だからかに狙われるというような経験はほとんどなかった。

日本には蚊が多いと言うのは、分かっていたが、それにしても、もう11月だよ!
こんな時期まで蚊っていたっけ?
まあ今年はこんな時期まで暖かいから、仕方がないのかもしれない。
でも、最近、蚊とか虫にかまれると跡が残りやすいので、すっごい嫌。
かゆいのも嫌だけど。
日本で過ごすならこれはさけられない事態ではあるんだけど、できるだけ短期で行っていただきたい。
それにしても、私は、統計的に蚊にはかまれにくいはずのA型なんだけどなあ。
本当に変な日本語、蔓延してますねー。
いや、厳密にいうと、和製英語ってことになるのかな?
カタカナ英語、変ですよ。

なんかね、英語できない人が粋がって言ってるって感じてしまうような、そんなのが多いような気がする。
と言うのは、なんと言うか、「え、この単語、こういう風に使うの?」って思うんだよね、読んでて。
確かに辞書を調べれば、ああ、この日本語の英単語を使ってんだなって分かるけど、でもなんか感覚的にはちょっと変、見たいな。
だから本当に英語できる人だったら、こんな風にはカタカナ語にしないだろうな、って思う。
例えば、ここにこの単語を使いたいなら、形容詞の形で使った方がいいんじゃないの?と思ったり。
次にきている日本語の単語にかかっているのに、なぜこのカタカナ単語も名詞なの?とか。
あと、単語の形を変えたときに、意味合いが全く変わってしまうことが英語にはあるのに、それを分かってないでやってるな、見たいな。
ムーディーもその一つ。
ムードを形容詞化したんだろうけど、それで、ムードがある、雰囲気があるって言う風にしたかったんだろうな、って言うのはよくわかるけど、ムーディーは調べてもらえば分かるけど、“不機嫌”とかそんな意味になっちゃうのに。

なんか、ふざけて、日本語の単語をちょっと英語風にしちゃうみたいなのはまだ許せるというか、おもしろがってるんだなって分かるけれど、いまはビジネスの場や政治家やが目一杯英語を混ぜて話してる感じがするけど、全然分かりやすくないし、間違ってたりもするし、格好つけてる感じがするのが、余計格好悪い。
できる人を演じてるけど、本当にできる人から見れば、できなさがバレバレで、どうしようもない。
そういう風に思うんだけど。

今日の新聞で読んだんだが、安倍首相は、
「お役所言葉は日本語にするともっと難しくなる。一般の話し言葉の中で使われている英語表現は、無理に日本語にする必要はないのかもしれない」
と書き残しているらしいが、いま彼が使っている英語表現は、一般の話し言葉で使われている言葉だろうか?
ゲートウェイ、アイデンティティ、イノベーション、フロンティア・・・。
そんなの普通の人が分かるの?
しかも、安倍首相も絶対感覚的には分かってないような気がする。
なんか彼の英語表現の使い方に、違和感を覚えるんだよね。

こないだなんて、テレビを見ていたら、ある電気屋の店員さんが、パソコンに貼ってあるシールに書いてあった単語"Capable"をみて、キャパブルって言ってたよ。
英語を知ってたらケーパブルというと思うけど、ローマ字読みをしてしまうから、キャパブルになってしまうんだよね。
そういう感覚の人の方が多い中で、英語表現を多用して、人に伝わる訳がない。
なんか、分かりにくくしているとしか思えない。
分かってほしくないんじゃないの、本当は。

お役所言葉が日本語にすると難しくなるなら、簡単にわかりやすい日本語に変えればいい。
お役所言葉を良く分かっているべきなのが、政治家なのだから、分かってるなら、わかりやすい単語に帰ることは簡単なはず。
それができないのは、分かってないか、分からせたくないか、どっちかでしょう。

それとさ、間違った英語を和製英語として沢山取り入れてしまうと、英語教育に力を入れてるくせに、なんか矛盾してる気がするよ。
本当の語学を教えるのなら、ただ直訳の日本語⇔英語じゃだめだし、もっと感覚的な意味合いを教えないと、相手にきちんと伝わらないことだってある。
英語に対するコンプレックスがあるのかもしれないけど、変に多用するとこれまた、コンプレックスの裏返しって感じで、不格好だよねえ。
英語を勉強するのはいいけど、英語英語って言わないで、ある一定以上は、英語を勉強したい人がすればいいし、あんまり英語がわからない人にも通じる、そういうきちんとした会話ができないと、意味がないと思うんだけども。
格好つけてる場合じゃないっすよ!

あと、またグローバルの話になるけど、グローバルの定義を間違ってる人が多すぎる気がする。
それとも単に私が考えるグローバルと、価値観が違うだけかな?
でも実際に、海外に出たことがあって、その中できちんと自分を見つめたことがある人は、私と近い感覚を持ってると思うな。
グローバルになるってのは、決して英語ができることじゃないし。

これからもますます、気持ち悪い日本語を目にすることになっていくのかなあ。
アー、やだやだ。
関空についたしょっぱな、私は、これが日本だったっけなーというような洗礼を受けた。
いや、そんな大層なものではないが。

今回、帰ってくる時、ユナイティッドのゴールドカードがあったので、荷物を持って帰れるだけ持って帰ってきた。
機内持ち込みの荷物のほかに、大っきなスーツケース1個、大っきなバックパック1個、そして、段ボール箱1箱だった。
関空について、全部をはるかに乗せて帰るのは無謀だと思い、バックパックだけ宅配で送ることにした。
なので、家に持って帰るのは、スーツケースと段ボール箱。

まずははるかの駅までカートで行くが、なんせこのスーツケースがめちゃくちゃ重いので、カートも思うように動かないぐらい。
で、まず、駅に行くためにエレベーターをまっていたのだが。
そしたら私の後ろから、袈裟を着たお坊さんが来た。
そのお坊さん、信じがたいことに、なんと、私の前に立ったのだ。
私より先にエレベーターに乗り込む気満々と見た。
「あり得ねー、お坊さんなのに!」
と私は心の中で毒づいた。
仏に仕える身のくせに!自分が先かー。ってなもんだ。
思わず、ヴェネチアで会った、ごうつく尼さんを思い出したよ。
結局そのお坊さん、エレベーターがなかなかこないので、どっかに行ってしまった。

そして、JRの駅で、信じがたいことになんとカートはホームまで持っていくことができなかった。
なので、スーツケースと段ボール箱をカートから降ろして、自分で持っていかないと行けない。
まあ、スーツケースは重いと言ってもころころと転がせるので、何とかなるが、段ボール箱がここでお荷物に。
ホームに行くには1階下に行かねばならなかったので、またエレベーターを待っていると・・・。
今度は小柄なおばさんがやってきて、私の隣で一緒に待った。
エレベーターが来て、中の人がおりると、当たり前のようにこのおばさんが先に乗り込んだ。
まあ、荷物もなく身軽だったし、それはいいとしよう。
私は大きな荷物2個を前に、悪戦苦闘していた。
その間、先に乗り込んだこのおばはんは、なーんにも助けてくれることなく、突っ立ってたのだ!
ドアを手で押さえることも、ドアを開けておくためのボタンも押してくれることなく!!!
「あっりえねー」
と思った。
荷物を持ってもらおうなんては思わないけど、たったそれぐらいのこともしようと思わないんだ。
そんなに人のことはどうでもいいんだ?
私よりも上の世代なのに。

なんか、こういうのは本当に悲しいね。
今時の世代だからとか、そういう話じゃない。
昔の人もそんな風になってきてるんだ、日本って。
もちろん、日本は変な形で治安は悪くなりつつあって、人と関わったがために、傷つけられてしまうような事件がはびこる昨今では、とにかく人と関わらないのが得策なのかもしれないけど、別にこの人たちが損をするとも思えない、そんなときにさえ、他人のことを慮ることができないんだ。

もちろんそんな人たちばかりじゃないということも分かってる。
日本の風潮が、そういうもんなんだとしても、私は絶対そういう風には、変わりたくない、と思う。
特別、すべての人に親切にするような柄でもない。
お年寄りの方などに、いつでも席を譲る訳でもない。
でも、最低限の親切もできなくなるようには、なりたくないと思う。

ま、しょっぱなからそんなことがあったからと言って、すごく日本が嫌になったりした訳ではない。
ああ、こういう国なんだな、ここは。って思った。
この余裕のなさが、情けなくて、なんか笑けた。
ほんとにさあ、グローバルとか言ってるけど、空回りしてるよね、この国。
もっと身近なところ、ちゃんとしたほうが良いよって感じ。
外にばっかり目を向けてないでさ。
これからもこんなようなこと、いっぱい目にするんだろうな。
そしてそのたんびに、笑える自分でいたいなと思う。
日本に帰ってきて、いいなあ、と思うことがある。
それは、まず、これは京都に関して言えることだが、山が風景の一部をなしていること。
ふと見ると、背景に山を望むことができる。
そして、空が大きく見えること。
もちろん、アメリカの田舎町から見る広大な空には負けるけれど、ニューヨークと比べれば、全然今の方が空を見ることができる。

それから、夜、虫の声が聞こえたり、朝、鳥の声が聞こえたりする。
そういう自然を感じることができるのは、やっぱり気持ちが安らぐ。

京都は、町の真ん中を川が流れているし、それがどこか開放感をもたらしてくれる。
すばらしい清流ではないかもしれないが、でも汚い訳でもないし、悪くはない。と思う。

それから、ニューヨークでは全然見かけなかった、カエルやバッタやヤモリを見かける。
家のすぐ外とかで。
蝶も良くとんでるし、こないだは、家の中でヤモリを見た!
もちろん、見なかったことにしたけど。
そういう生き物が周りにいる生活が、昔は当たり前だったんだなあ。とおもい、そして今またそれを新鮮に思う自分の感覚が面白い。

そしてやはり、季節の移り変わりを感じるのに、自然の変化で見つめようとする気持ちが強くなる。
キンモクセイの香りがして、「ああそういう季節なのね」と思ったり、旬の果物を食べて、季節を感じたり。
紅葉の葉っぱがいつ赤くなるのか、と気が気でなかったり。
そういう気持ちは、ニューヨークにいたときには薄かったと思う。
まあ、ニューヨークは、春と秋が異様に短いというのもあったのかもしれないけど。
でも、毎日目にする自然の変化が、日本の方が多い。
ニューヨークでも、毎日通る道沿いに植えられている木の変化を見たりはしていたけれど、それも、「あ、芽が出てきた」「気がついたら花が咲いてた」「気がついたら緑の葉が雄々しく茂ってる」「気がついたら葉が枯れている」「落ち葉が多くなったなあ」ぐらいのもので、おおざっぱなのだ。

日本に来てから、「ああ、〜の季節なんだなあ」と思うことに、楽しみを覚えている。
それはとてもすてきなことのように感じる。
木枯らしが吹いた、ここ京都ですが。

なんか、日本に帰ってから、お肌が乾燥する気がするんですけど。
空気の乾燥は、ニューヨークの方が乾燥しているはずなのに、なぜか、こっちの方が顔は乾燥しちゃう気がするんです。
なぜ?
水の違いでしょうか?
それとも、気のせいか?
もちろん、冬になれば、ニューヨークでも乾燥したと思うんですが。

まあ乾燥するとは言っても、15年も過ごして、お肌も適応していたのかもしれません。
それが環境が変わったので、ちょっと戸惑ったり、順応するのに苦労しているのかも。
まあ、それ相応に年もとった訳ですしね。
かといって、あまりクリームを塗りたくるのは好きじゃないので、どうしたらいいのかな?と思っています。
ファンデもあまりつけるの好きじゃないし、ルースパウダーをはたくぐらいなのですが、そのときに粉を吹いたようにならないようにするには、とかね。
保湿のためには、リキッドファンでとかもつけた方がいいのかもしれないけど、あんまりファンデ塗ってます!見たいな顔になるのは好きじゃないのよねー。

一冬越す頃には、対処の仕方が何となく分かるようになるかなー?
こないだ鴨川沿いを友人と歩いていたら、いつもの通りに、等間隔で人々が座って憩っていた。
その風景は見慣れたものであるけれど、その中でふと、違和感を感じるものを目にした。
それは、ビールを飲む人々であった。

ニューヨークでは、お酒を公共の場で飲んではいけないことになっている。
公園とか、道ばたとかで、である。
それは立派な違法だったのだ。
んで、時々見かけるのが、紙袋の中にビールなどのお酒を入れたまま、飲んでいる人の姿であった。
(だから、紙袋状態で飲んでいる人を外で見かけると、たとえジュースを飲んでいたんだとしても、ビールのようなものを飲んでるとしか見えなかった。)
実は今まで、深く考えたことがなかったので、紙袋に入れていれば、公共でも飲んでよかったのか、それとも、飲んではいけないので、かくして飲んでいただけなのか、よくわからない。
また、この条例が、全米で適用されているのかも分からないけど、とにかく、NYではそうだった。
だから花見に公園に行って、お酒を飲んでるのが見つかったら、それは立派に捕まる対象となるのだった。

だからなんだか、堂々と外でビールの缶をそのままに飲んでいる人を久しぶりに見て、違和感を感じてしまったのだった。
それがたまたま外人だったので、余計に違和感が増したのかもしれない。
こんな違いはまあしかし、すぐに慣れるだろうけどさ。
Threading(スレッディング)とは、インドの方でなされている糸を使った脱毛法である。
これに実は、日本に帰ってくる直前にNYでトライした。
当時のアパートの近所にそのお店はあって、前からちょっと気になってたんだ。
日本では、なかなかそれをやってるところはないんじゃないかと思ったのと、あったとしても値段もそこそこするだろうと思ったので、帰る前に友人と行くことにしたのだった。

それまでに以前、テレビなどでやってもらってる人の映像を見たことがあり、なんかペインレスに見えたんだよね。
そして結構細かいところまできちんと脱毛できるみたいだったし、ワックス見たいに赤くなったりしないのではないか?と。

私がこのスレッディングをしたかったのは、眉のお手入れ。
眉だけで、確か6ドルとか、そんなもんだった。
それに私は額を加えてもらって、チップ込みで12ドルぐらいでしてもらった。

私と友人が行ったとき、そこのお姉さんに、「痛くないか、ちょっと不安」と漏らすと、そこにいた先客のはげつるピンの白人のおやじさんが、「全然痛くないよ」と言ったので、ちょっと安心して椅子に座る。
そして始まったのだが・・・。

もうねえ、めちゃ痛かったよ。
おっちゃん、話違うやん!
もしかしたら、何度もやっていれば、そこそこ慣れて、痛みもそう感じなくなるのかもしれないが。
額の毛は長めなので、もう痛くて。
でもそこはがんばって我慢してたんだけど、それが、眉の辺りになったら、痛みのあまりに目に涙が浮かんできた。
自然とである。
それぐらい痛かったんだよ。

でも、仕上がりはとってもきれいだったし、触ればつるつるだったし、お値段も高くないので、まあ、それには満足したけれど。
もしニューヨークにあの後もいたとしたら、眉だけはまた行ったかもしれない。
痛みがましになるのか、確かめに。(笑)
でも、今のところ、京都でこのスレッディングをしているところがあるか、調べるつもりはないでいる。
今日ニュースで見たのと、つい昨日、うちにも町内会の人が赤い羽募金を徴収にきたことから、思ったんだけど。
そういえば、小学生の頃も、この時期になるとこの赤い羽募金のために100円を握りしめて学校に行ったっけ。
んで、今まで全く考えたこともなかったんだけど、この赤い羽募金って、集まったお金は一体何に使われているのか?
誰か知ってる人います?
今日テレビで見てた限りでは、都道府県ごとに集まったそのお金は各県内で配分されるらしい。
いろんな団体に配分されるんだろうが、実際に具体的にどの団体がもらっているか、というのを、寄付している人は知ってるんだろうか?
まあ、自由に寄付したいからしている人はいい。
でも実際には、うちのように、町内会とか自治会が集金にきたりして、ある意味半強制的だったり、勝手に町内会費から支払われているという現状が大きいようだ。
それってなんか変じゃない?

喜んで寄付する人が多い国アメリカに長くいたので、思うことなのかもしれないが、使用用途が不明なものに、寄付するなんて、絶対納得いかない。
前にこの寄付金で、組合員だか役員だかが飲み食い代を捻出していたニュースもあったという。
それ見たことか、という感じだ。
実際に何に使われているかなんて、公開されていないのだから、分かったものではない。

寄付精神がそんなに浸透していないと思われる日本だって、それが何に必要とされているのか分かれば、沢山のお金が集まることも多々ある。
小さい子供のアメリカでの臓器移植のため、なんて言うのが分かりやすい例だろう。

ここ数年、赤い羽募金の寄付金が減り始めているということだったが、それも仕方がないのでは?
用途の分からないものに、切り詰めて生活している中からさらに寄付金を捻出するなんて、たまったものではないと思う人は多いはず。
それを、地域貢献のために、見たいに言われても、信用ならないし、自分が寄付したお金がどういう風に使われているのか見えなければ、なんかどぶにお金を捨てているようにしか感じられなくても仕方ないと思う。

それでも私の親の世代は、「それが近所付き合いというものだ」といって、町内会の人が集金にきたら払っているけれど、それを横目で見て「そんな理不尽なことはない」「寄付はあくまで寄付であるべきで、半強制的に決められた金額を払うものじゃない」なんて思ってる私のような世代になったら、もっとどんどん、集金率は悪くなるんじゃないのかね?
それとも、事なかれ主義の多い日本では、そのままだらだらと行っちゃうのかな?
まあ、行政側が体制を事前に改善する気がないんだから、だったらこっち側(お金を寄付する側)が変わるしかないよねえ。
それで実際にことが変わるのかは、分からないけどさ。
ここのところ、ポータビリティ制度が始まり、にぎわいを見せている携帯電話であるが。
私はこの携帯の顧客争奪戦が始まる前に日本に帰ってきて、その日を待たずに携帯電話を持った。
日本とアメリカの携帯電話のシステムが違うので、一体どこを選ぶのがいいのか、えらい悩んだ。
もちろんその時、ポータビリティ制度の開始によって、サービスが変わったりすることがあろうとは、予想だにしていなかったので、そのときに一番いいと思われた携帯会社にしたが。

アメリカにいた時は、日本の携帯のシステムの方が良く、安くあがるものだと思ってた。
ところが、実際には違うような印象を受ける。
日本とアメリカの携帯システムで、最も違うのは、電話を受信した時の通話時間がただか、それともそれも通信時間に換算されてしまうか、であろう。
そう、アメリカでは、電話をかけても受けても、通信時間に換算されるのだ。
アメリカで携帯電話を持ち始めた頃は、そのシステムになんか納得いかず、悶々としたものを感じていたが、今考えると、それでも、アメリカの携帯電話の方がよく通話していた。
それはなぜか、というと。
平日は夜の9時頃から朝の6時頃までと、週末の終日、通話料が全くかからないから!である。
なので、昼間の通話を抑えれば、それこそ、家に電話がなくても携帯だけで事欠かない。
夜間、友人との電話は、話し放題である。
そして基本料金も、アメリカの方が割安だったような気がする。
ちなみに私は、平日の昼間(午前6時から午後9時まで)の通信時間300分を含んだサービスで、税込みで大体45ドルぐらいだった。
日本円で言うと5000円ぐらいか。

また、アメリカでも、メール機能はついているが、携帯電話からメールをする人というのはあまりいない。
それでも最近の若い世代は、携帯メールも使い始めているような気配はするが。
ビジネスで多用する人は、携帯メールではなく、ブラックベリーと言われるメール専用のガジェットを使うが、私は使ってなかったので、そのサービスについてはよくわからない。
(ブラックベリーは、キーボード配列になっているので、パソコン慣れしたアメリカ人には、こっちの方が携帯電話よりも使いやすいのだと思われた。)
携帯メールは、こちらもいくらかの基本料金を払えば、無制限でできたと思う。

ところが、日本では、料金体系が、通話の分と、メールやウェブ機能を使うパケット分とに分かれている。
まず、パケットとは何ぞや?というところから、私の頭は?マークで満たされた。
そして、一体何をしたら何パケット使ってしまうのか?の計算がよくわからない。
店員さんに聞いてもよくわからない。
なぜなら、入るサービスによって割引価格などになり、かかるパケット数が変化してしまうからだ。
なので、一体どのサービスを選べば、私にとって一番無駄なく使うことができるのか?という計算が全くできない。
通話も一体1ヶ月に何分ぐらいするものか、まだ全然想像つかないし。
かかってくる分には、いくらでもいい訳だけれども。
(でもかかってこないから、これもあまりお得感なしだねえ。)

そして実際に使ってみて、日本での携帯は、ほとんど通話用として機能しないことに気がつき、結構愕然とした。
だってまず、自分が基本料金で払っている分の分数を超えると、超過料金が結構するから、こっちからかける電話は最小限にしようとする。
そして、そういう風に考えるのはみんな同じで、だから電話がかかってくるということもない。
かかってくるのは最低限必要なことがあるときのみ。
それ以外は全部メールである。
電車の中で、みんながメールをするのは、通話を禁じられているからかと思っていたが、多分そうではなく、結局そっちの方がお金の心配が少ないからである。
まして、携帯電話に電話をかけると、割高に料金をとられたりする。
だからメールですむのなら、メールでのやり取りしかしなくなるのも仕方がないというものだ。
もちろん、車内での通話禁止もそれに輪をかけているのだし。

そして、さらに、家の電話からも、電話をかけることがなくなってしまった。
要因の一つは、今までアメリカでは、市内であれば通信料は一回につき10セントとか、そういうシステムだったことだ。
これはもちろんその地域によって違って、ニューヨークは10セントかかったが、市内はただというところも沢山あった。
1回いくら、なので、それが1分しか話さなかろうが、3時間話していようが、値段は一緒である。
そんな生活が長かったものだから、3分いくら、とか言うこの日本の感覚にまだついていけない。
それでも、もし携帯電話というものの存在がなければ、家の電話で友人と話したりということももっとあったと思うけど、携帯メールがあるがために、お金のことを考えたら、それですましてしまう、という、何とも味気ないことになってしまっている。
さらに携帯があることで、家から相手の携帯にかけるとなると、通話料がアホみたいに高くなってしまう可能性がある。
怖くてかけられない。

このシステムは、だらだらと電話で友人と話して時間を無駄にするということの予防にはなっているかもしれないが、あのただだらだらと話す、ということがなくて、これまたちょいと寂しい気もしている。
メールだけじゃ、ちょっと味気ないし、また携帯を使ってのメールは書くのが結構面倒くさい。
パソコンからのメールと比べても、携帯で長いメールを書こうとは思わない。
今はまだそうでもないが、これからまた愚痴を言いたくなったり、何か相談してくなったりすることも出てくるはずだ。
そんなときに、「〜ちゃんに電話しよー」ではなく、「電話したらお金がかかるから、止めておこう」ということになるんだろうか。
今のままなら、そうなるだろうなあ。

携帯電話そのものの機能的には、もちろん日本のものの方がアメリカのものより、断然先を行っている訳だが、金銭的なことも含めて考えれば、結局使おうと思う機能も限られてしまうし、なんか機能が良くても、宝の持ち腐れになる感は否めない。
だって、着メロもあまり興味ないし、携帯でウェブサイト見るのも、テレビ見るのも見にくそうだし、その上結構パケット食いそうだし。
って、そんなこと言って、機能を使わないと、どんどん使い方がわからなくなって、機械が苦手ってなことになっていくんだよなあ。
かといってそれらの機能の使い方がわからなかったら、困るのか?と言われると、きっとそんなには困らないけど。
なにげに、アメリカのシステムは、私にとっては快適だったなあ、と思う。
それとも、ただそのシステムで始めてしまって慣れてたから、そう思うだけだろうか。
でもやっぱり、値段が高いのは嫌だし、困っちゃうよなあ。
さて、いつになったら、この気持ちが覆されるだろうね?

まあなにげに、結構そういうこと(日本の方が良さそうだったのに、実はちょっと違うかもと感じること)があると思うので、また、そういったことも書いていきますわ。
先月15日、念願の百万遍の手作り市に行ってきました。
奇しくも先月の15日と言えば日曜日で、もう絶対混雑すると思い、朝イチに出かけることに。
母親と一緒に行く予定だったのですが、結局のけ者にされた父がすねそうだったので、父も一緒に行くことに。
本当は、車で送ってもらうだけにするつもりだったんだけど。
現在では京都の若手作家の登竜門と言われるこの手作り市は、知恩寺の境内で催されてますが、もちろん境内にある駐車場に車が止められるはずもなく。
父は私と母をおろして、近くに駐車場がないか探しにいきました。
お寺に向かう途中、ゾロゾロと歩く人の列があり、日曜日の朝だというのに、これみんな早起きして、この手作り市に行かはるねんなあ、とびっくり。
しかしそんなものは、序の口だったのよ。

さて、ついてみると、既にたくさんの人がきており、お店も所狭しと出店していた。
私は一つだけお目当てのお店があったのだが、一体どこに出店しているのかが全くわからない。
仕方がないので、母とうろうろすることに。
この市には、和物のお店から、食べ物から、アクセから、陶器から、いろーんなもんを売ってはって、目移りするぐらい。
いろいろかわいいなと思うようなものもあったが、なんせまだいまいち自分の生活が落ち着いていないので、これ!というものがわからず、買うにかえない。
結局、母ばかりが買い物をすることに。

途中で、やっと父が合流し、また練り歩くが、そういう間にも、どんどん人は増えるばかり。
歩くだけでも疲れるし、なんかゆっくり見る気が失せていく。
そうしていくつかのものを買った後、やっとお目当てのお店を見つけることができた。
それは、真水ちゃんの手描きTシャツ屋さん。
彼女のHPを友人のHP経由で見つけて、一目惚れし、前に一度HPから購入、送ってもらったことがあった。
今回、初めてあってご挨拶できて、うれしかったー。
結局私は欲しい柄のいいサイズのものがなかったので、母の方が2枚購入し、私はオーダーを入れさせてもらった。
今度は秋用に長袖Tシャツで。
(タイミングよく、誕生日にこのオーダーが届いて、とってもうれしかったのでしたぁ。)

その他にも、いろいろ母はゲットしてました。
うれしい発見は、お香屋さん。
耳にでっかい穴開けた、いかつい兄ちゃんが作ってはって、いい匂いを放ってました。
そのうち本当に、なかなか前に進めないぐらい、混んできて、退散することに。
でも、この混雑の中で、友達を見つけた時は、びっくりした。
そんなこともあるんだなって。

帰りは近くのお好み焼き屋さんで、お昼ご飯を食べて、天気もよかったので下鴨神社によってお参りして、そんでふたばの豆餅を買って、帰りました。
下鴨神社では、結婚式を挙げた人が何組かいらっしゃいましたわー。
花嫁さん、白無垢で、きれいやったです。
お天気よくてよかったなあ。

今月の手作り市の日は、平日なので、もうちょっとは混み方もましなんかな?
でも、観光バスで観光客がきはるという話も聞き、やっぱりそれなりに混むんかなー。
もし、何にもなかったら、また行ってみようと思います。
昨夜はハロウィンだったんだね、そういえば。
すっかり忘れていた。

日本に帰国して1ヶ月。
もっとNYのことを思い出したり、懐かしんだり、I miss NYな状態になるかと思っていたけど、まだそんなことはない。
ニューヨークを発つときに、飛行機の離陸が遅れたために、「ああ、もうここに帰ってくることはないんだなあ」となんだかちょっぴりセンチになって、涙を滲ませたあれは何だったんだろう?
NYにいた時はもっとニューヨークの人のブログやウェブサイトを読んだりしたもんだけど、今は友人のものを除いて、ほとんど覗くことがない。
まあ、ここ1−2日前までは、ほとんどネットできない状況にあった訳で、ネットにつながっていない状況に慣れつつあったのも、そういうブログ離れの一因でもあるんだろうけれど。

こっちに帰ってきてから、いろんなカルチャーショックを受けていると思うけど、そういうときに、「アー、やっぱりニューヨークやアメリカの方が良かったなー。戻りたいなー」という風には思わない自分を発見する。
嫌なことでも何でも、「日本て変な国」「日本人て変なとこあるなー」って言うところに落ち着き、最後はなにげに楽しんでいる自分を見つけるんだ。

本当に案ずるより産むが易しって感じで、一体今まで何をあんなに「ニューヨーク(アメリカ)に残るか、日本に帰るか」で悩んでいたんだろう?
何故あんなに「日本じゃ幸せになれない」と思い込んでいたんだろう?と思う。
ただしそれは、前にも書いたが、もっと早く帰ってこなかったことへの後悔では決してない。
やっぱり今帰ってきたからこういう風に思えるんだって思う。
ある意味、ニューヨークでの生活を自分の中で納得いくまで過ごしたんだろうな、と思う。
だから、今は新たなこの地での生活がどうなるんだろう?って思ってる、そんな感じ。
まだ何にも始まっていないけど。

ハロウィンの前の時期、NYでは町中がハロウィンて感じだったんだろうけど、もちろん日本じゃそんなことはなかった。
かといって全く目にしなかったか、というとそうでもなかったんだけど。
でも気付いてみたらハロウィンはすぎていたし、自分の誕生日になっていた。

NYの友人は恒例のパーティーを開いたことだろう。
街中でもコスチューム姿の人を見かけただろう。
それが当たり前だったし、そういう都会の真ん中で生活していたんだな、と改めて思う。
東京辺りなら、ど真ん中にすんでいたら、それなりにイベントがあったり、仮装してる人を見かけたりしたんだろうか?

やっぱり、知らず知らずのうちに、ニューヨークには私が望むものはなくなっていたのかもしれないな。
深いところでは、もちろん知っていたんだろうけど。
ただ、見知らぬ生活に足を踏み出すのが怖かったんだろうな。
誰もその新たな生活の方がベターだなんて保証してくれないしね。
でもとにかく、私は今日本にいる。
そして自分が決めたことを今のところ全然後悔していない。
これはなにげにうれしい結果だ。
これが続くといいけどね。
まあ、その時はその時か。
さて、早速歯のことなのですが。
私には、差し歯にしなければいけない歯が1本あった。
とっくの昔に神経を抜いてしまった奥歯である。
ずいぶん前から歯医者に差し歯にしろと言われていたのだが、そのときはお金もなく、歯科保険にも入っておらず、差し歯にすることはできずに詰め物でごまかしていた。
でも、とうとう歯がかけてきたりしてヤバい状態だったので、差し歯にすることを決意した。

最初は、アメリカで、歯科保険が利いている間にしてしまおうと思っていたのだが、いくら保険があるとはいえ、いくら位するのかが事前にわかっていないとちょっと不安。
なので、保険会社に値段を問い合わせてもらっていたのだが。
それが待てど暮らせど返事がなく、値段がわからないままに、保険は切れてしまった。
会社から入っていたので、退職と同時に打ち切られてしまうのだった。

そしてその後、帰国2週間ほど前から、その歯の横の歯茎が腫れ始めた。
痛みはなかったのだが、気持ちのいいものではない。
その時点で歯医者に行けば、保険がないので高いお金をとられてしまうし、痛みもないことだったので、日本に帰ってすぐに差し歯にしてしまえばいいや、と思っていた。
そして帰国してすぐに歯医者に行ったら・・・。
なんと歯の根っこに穴があいているか、ひびが入っていて、そこが膿んでいるんだろうとのこと。
これは開けてみないとわからないが、差し歯はできないかもしれないと言われてしまい、この年にしてもう入れ歯になるのか?と、ちょっと目の前が暗くなった。

まずは原因を探るため、歯茎を切開して中を洗浄してもらう。(痛)
で、やっぱり穴があいていそうだということで、ではどうするかという相談を、じっくり話し合うことに。
まずは、何をするにしてもこの歯茎の腫れや膿が引かないと何もできないということ。
で、その後のチョイスだが・・・。
まず一番最初に考えられるのは、
・ブリッジ
・インプラント
・部分入れ歯
の3つだった。
この中で一番ましだと思うのは、インプラントだが、とにかくお金がかかることと、まんの悪いことにちょうど「インプラントをしても固いものをかんだら痛い」という話を聞いたばっかりだったので、本当にインプラントでいいのか?という疑問が頭をもたげる。
ブリッジにするなら、前後の歯も削る必要があるので、健康な歯を2本失うことになり、また3本分の差し歯を作るのと同じことなので、白いセラミックのものにするとなると、これまた保険が利かず、結構な出費となる。
一番歯に易しく、それでいて確実なのは部分入れ歯であるが、これは何とも響きも悪く印象も良くない。
もし私が既に50代とかなら考えるかもしれないけど、なんせまだ30代の身であるからにして。

しかし医学の進歩はすごいのだった。
私が難しい顔をして悩んでいると、先生はほかのチョイスを出してきた。
まず、今回の歯は奥歯で、根っこが二つに分かれており、そのうちの一つに穴があいているようなので、歯を半分に切って、その穴のあいてる方だけを取り去る方法がある、というのだ。
そうすれば、ブリッジであれば、健康な歯を1本だけ削ればいいということになるし、お値段もちょっと安くなるとのこと。
そして、それでは終わらなかった。
なんと、再植術というやり方があり、それは、穴の開いた方を一度抜き、もし修復可能であれば、穴の部分を塞いでからまたもとに戻すというんである。
そうしたら、その歯だけ、差し歯にすることができるというんである。
なんて画期的!!
さらに、移植術もあり、これはその歯を全部抜いてしまって、私の残っている親知らずをそこに移植するって言うんである。
これまた画期的!!
今の医学ではそんなことまでできるのか!と目から鱗がぼろぼろ状態である。

しかしもちろんそれにはデメリットもあった。
それは、再植にしろ移植にしろ、一度抜いた歯を歯茎に戻すので、その後、その歯が歯茎に定着するかどうかは、100%補償できないというのである。
いちえに自分の自己治癒力にかかっているといっていい。
もしこれらの治療法を選んで、うまくいかなければ、また次ぎ、そのまた次ぎ、と長期にわたって何度も手術や治療を繰り返さないといけない可能性もある訳で、できることならそんなストレスを歯茎に与えたくはない。
しかし、かといって、ブリッジにすれば、健康な歯を削ってしまうので、一度削ってしまえば後戻りはできない訳で。

そんなこんなでいろいろ悩んだ末に、先生も健康な歯を削りたくないという気持ちに同意してくれ、再植か移植で進めることになった。
そして今、再植してもらって、経過を見ているところなのである。
終わるまで、今年いっぱいかかるだろう、と言われている・・・。
長い道のりである。

それにしても、NYで保険会社から連絡がなかったときはイライラしたし、むかつきもしたが、今から考えてみれば、本当にそれはラッキーだったとしか言いようがない。
保険に入っていたときは、まだ歯茎の腫れは出ていなかったし、レントゲンではわからないようだったので、あのとき差し歯にしてもらっていたら、もしかしたら先生がこの穴に気付かずに、差し歯を作ってはめてしまい、その後すぐにそれがおじゃんということになっていたかもしれないし、万一気付いてくれたとしても、そのときに今のような多様な選択肢を示してくれたかもわからないし、実際に示してくれて再植などをしたいと思っても、あのときの猶予期間を考えると、NYでの治療は難しかったことだろう。
だから本当に、あのとき治療を進めずに、日本でやることになったのは、私にとってはより良い出来事となったのだった。
治療費はその時よりも高くつくことになってしまったとしても。

これまた、守ってもらってるんだなあ、自分はついてるなあ、と思った出来事だった。

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らふぁえる

  • Author:らふぁえる
  • 2006年10月より日本に再生息。それまでは,15年半、紐育はマンハッタンに生息してました。見た目は日本人,しゃべりはちゃきちゃき関西人,中身はなんちゃってジャパニーズな私です。
    関西弁、標準語、英語を操る偽トライリンガル。旅、読書、睡眠、おいしい食事、不思議なことが好き。
    興味のおもむくままに、いろいろ書いていきます。

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