最近私の身辺にいろいろあり、死について考える機会を与えられた。
今までも死については考える機会が何度もあったけど、今回はもっと、自分の死について考えた。
すると、不思議なことが見えた。
思っているほど、この世界に執着していないということだ。
前にも書いたことがあると思うが、私は死を終わりと見ていない。
この世で言う所の死とは、肉体を手放すだけであり、魂は生き続けると。
もちろん、肉体のある今、私には、人並みに、沢山の欲望を持っている。
物欲しかり、どこ行きたいとか、金持ちになりたいとか、成功したいとか、結婚したいとか、子供が欲しいとか。
そんなことである。
でも、それはあくまで欲望であり、執着ではないということが分かった。
まあ、どこ行きたいなんて言うのは、肉体を脱ぎ捨てれば、思った瞬間にそこに行けるだろうし、今より自由になる位だ!
そして、物やお金に対する欲も、死んでしまえば、用なしだ。
それに、愛する旦那も子供もいない今の状況なら、愛する者を残していくことへの心残りもない。
親に対しては、もちろん先に逝ってしまったら悲しませるというのはあるが、本来、親の方が先にいなくなる訳で、それに対する悲しみを自分が感じなくても良くなる、と言うある意味利点にもなり得る。(親不孝な考え方でごめん)
そんな諸々を考えたら、人間いつかは死ぬんだし、まあ今死んでも悔いはないかな。と思った。
(でも、痛いのとか苦しいのとかはイヤだけど。笑)
そしてそういう風に考えられる、今までの自分の人生のありがたみを感じた。
そういう風に考えられるのは、今まで好きなように生きてこられたということだ。
それはそういう風に生きさせてくれた、両親やら家族のおかげだ。
本当に、ありがたいことだ、と思った。
自分は幸せだな、と思った。
人は産まれて来たら、必ず死ぬ。
産まれた瞬間から、死に向かって歩み始めるのだ。
そう思ったら、私達は生きていることが当たり前だと思っているけれども、もしかしたら、生きていることの方が非日常なんじゃないか?と思った。
だって、私達がどうやって生きていけてるのか、分かってる人など誰もいない。
なぜ心臓は動くのだ?
何にも考えなくても、身体は生きるための機能を勝手に請け負って動いてくれている。
不思議じゃない?
こんな非日常な、非常識な、そんな肉体ある生を与えられている私達は、なんと幸運なのでしょう?
生を与えられていることだけで、皆特別で、尊いものなのだ!
そんな私達がしないといけないことは、何だろう?と考えたとき、最近私は、「ただ生きること。死ぬまで生きるということ」だと思うようになって来た。
成功するとか、金持ちになるとか、有名になるとか、大それたことを成し遂げるとか、悟りを開くとか、神の意識になるとか、アセンションするとか、そんなのはどうでもいいんじゃないかと思うようになって来た。
もちろんそういう風に生きても、全然OKだけど、何かに向かって生きないといけないんじゃないか、と思わなくてもいいってことだ。
ただ自分が楽しく幸せに思える人生を、ただただ生きればいいのではないだろうか?
それは苦労のない人生という意味ではなく。
肉体ある以上、苦労も、悩みも、イヤなことも、いろいろある。
でもそれでも、タンタンと生きるのだ。
自分の最善をその時々に尽くせば、それでいい。
ただ生きる、と言うことを根底において、その中で自分が欲する人生の形にしていけばいい。
自分の死ぬ時が来るまで、ただ懸命に生きる、と言うことが出来た人の人生は全てその人の使命を果たしたんだと思う。
そして、そう思うと同時に、死は特別なことではないのだから、いかに長く生きるかではなく(なんて言うと、矛盾してるように聞こえるかも知れないが)、どのように生きるか、が私にとっては大切だと思った。
私にとっての大切な生き方というのは、『普通に生活する』ということである。
死ぬまで、普通に生活できることが、一番幸せだと思うようになった。
大切な人と日々の関わりをして、普通に食べたり飲んだり、仕事したり、セックスしたり、テレビ見て笑ったり、夕日を見てキレイと思ったり。
何でも良い、あー、幸せだなーと思えることを一つでも多く見つけて、普通に生活する。
生きるって、それでいいんじゃないかな?と思ったりするのである。
産まれたらいつかは死ぬ。
だから肉体を持って産まれた以上は、『生きる』ということが一番大切なやり遂げなければいけない事なんじゃないかな。
肉体があるから出来る事を、いい事もイヤな事も全部ひっくるめて、ただ生きる事で体験するのだ。
ほんま、生きてるってだけで、みんな偉い!
今までも死については考える機会が何度もあったけど、今回はもっと、自分の死について考えた。
すると、不思議なことが見えた。
思っているほど、この世界に執着していないということだ。
前にも書いたことがあると思うが、私は死を終わりと見ていない。
この世で言う所の死とは、肉体を手放すだけであり、魂は生き続けると。
もちろん、肉体のある今、私には、人並みに、沢山の欲望を持っている。
物欲しかり、どこ行きたいとか、金持ちになりたいとか、成功したいとか、結婚したいとか、子供が欲しいとか。
そんなことである。
でも、それはあくまで欲望であり、執着ではないということが分かった。
まあ、どこ行きたいなんて言うのは、肉体を脱ぎ捨てれば、思った瞬間にそこに行けるだろうし、今より自由になる位だ!
そして、物やお金に対する欲も、死んでしまえば、用なしだ。
それに、愛する旦那も子供もいない今の状況なら、愛する者を残していくことへの心残りもない。
親に対しては、もちろん先に逝ってしまったら悲しませるというのはあるが、本来、親の方が先にいなくなる訳で、それに対する悲しみを自分が感じなくても良くなる、と言うある意味利点にもなり得る。(親不孝な考え方でごめん)
そんな諸々を考えたら、人間いつかは死ぬんだし、まあ今死んでも悔いはないかな。と思った。
(でも、痛いのとか苦しいのとかはイヤだけど。笑)
そしてそういう風に考えられる、今までの自分の人生のありがたみを感じた。
そういう風に考えられるのは、今まで好きなように生きてこられたということだ。
それはそういう風に生きさせてくれた、両親やら家族のおかげだ。
本当に、ありがたいことだ、と思った。
自分は幸せだな、と思った。
人は産まれて来たら、必ず死ぬ。
産まれた瞬間から、死に向かって歩み始めるのだ。
そう思ったら、私達は生きていることが当たり前だと思っているけれども、もしかしたら、生きていることの方が非日常なんじゃないか?と思った。
だって、私達がどうやって生きていけてるのか、分かってる人など誰もいない。
なぜ心臓は動くのだ?
何にも考えなくても、身体は生きるための機能を勝手に請け負って動いてくれている。
不思議じゃない?
こんな非日常な、非常識な、そんな肉体ある生を与えられている私達は、なんと幸運なのでしょう?
生を与えられていることだけで、皆特別で、尊いものなのだ!
そんな私達がしないといけないことは、何だろう?と考えたとき、最近私は、「ただ生きること。死ぬまで生きるということ」だと思うようになって来た。
成功するとか、金持ちになるとか、有名になるとか、大それたことを成し遂げるとか、悟りを開くとか、神の意識になるとか、アセンションするとか、そんなのはどうでもいいんじゃないかと思うようになって来た。
もちろんそういう風に生きても、全然OKだけど、何かに向かって生きないといけないんじゃないか、と思わなくてもいいってことだ。
ただ自分が楽しく幸せに思える人生を、ただただ生きればいいのではないだろうか?
それは苦労のない人生という意味ではなく。
肉体ある以上、苦労も、悩みも、イヤなことも、いろいろある。
でもそれでも、タンタンと生きるのだ。
自分の最善をその時々に尽くせば、それでいい。
ただ生きる、と言うことを根底において、その中で自分が欲する人生の形にしていけばいい。
自分の死ぬ時が来るまで、ただ懸命に生きる、と言うことが出来た人の人生は全てその人の使命を果たしたんだと思う。
そして、そう思うと同時に、死は特別なことではないのだから、いかに長く生きるかではなく(なんて言うと、矛盾してるように聞こえるかも知れないが)、どのように生きるか、が私にとっては大切だと思った。
私にとっての大切な生き方というのは、『普通に生活する』ということである。
死ぬまで、普通に生活できることが、一番幸せだと思うようになった。
大切な人と日々の関わりをして、普通に食べたり飲んだり、仕事したり、セックスしたり、テレビ見て笑ったり、夕日を見てキレイと思ったり。
何でも良い、あー、幸せだなーと思えることを一つでも多く見つけて、普通に生活する。
生きるって、それでいいんじゃないかな?と思ったりするのである。
産まれたらいつかは死ぬ。
だから肉体を持って産まれた以上は、『生きる』ということが一番大切なやり遂げなければいけない事なんじゃないかな。
肉体があるから出来る事を、いい事もイヤな事も全部ひっくるめて、ただ生きる事で体験するのだ。
ほんま、生きてるってだけで、みんな偉い!
コメント
おっと、シンクロ?
おおぉ〜同感!!
ご無沙汰です〜、四月に父が病気になり、それからやはり生と死について新しい感覚で考え、らふぁえるさんとほぼ同じ結論でした、同感です!
結局いまのそれぞれの人にあるのは、過ぎ去った過去でもなく見えない未来でもなく、ただただ『いま ここ』というときなのでしょう。お互いに『い
ま ここ』を大切にして全開&全快で楽しんじゃいましょう〜〜〜ね^^。
暑中お見舞いです、猛暑ゆえお身体大切にね♪♪
結局いまのそれぞれの人にあるのは、過ぎ去った過去でもなく見えない未来でもなく、ただただ『いま ここ』というときなのでしょう。お互いに『い
ま ここ』を大切にして全開&全快で楽しんじゃいましょう〜〜〜ね^^。
暑中お見舞いです、猛暑ゆえお身体大切にね♪♪
コメントはおひさしぶりです。
わおー・・・
なんだか、最近のわたしの心境とあまりにピッタリ!!だったもので・・・ひさびさに・・・
ほんとそうなんですよねぇ・・・
昔???
若い頃???は、ああだこうだ、といろいろあって、「普通に(今みたいに)生きていられるってすごいことなんだよー、それはとってもしあわせなことなんだ・・・」と人から言われても、「そうかなぁ・・・」とかってぼやーん、と実感なかったけれど、ほんとに最近そう思います・・・
昨日も、あまりにきれいな夕日を見て、「すごいなぁ・・・こんな夕日を見せてもらえてありがたい・・・」とか、感動してしまった、超単純な自分です・・・(しかし、年を取るごとにどんどん単純になっていって、なんか、楽チンです・・・淡々といければいいやー、って思っているつもりが、こんなことにも、ぐわーっと感動したりして、結構淡々でもなく、過ぎていくのがすばらしい、とかまた思ってしまったり・・・苦笑)
わおー・・・
なんだか、最近のわたしの心境とあまりにピッタリ!!だったもので・・・ひさびさに・・・
ほんとそうなんですよねぇ・・・
昔???
若い頃???は、ああだこうだ、といろいろあって、「普通に(今みたいに)生きていられるってすごいことなんだよー、それはとってもしあわせなことなんだ・・・」と人から言われても、「そうかなぁ・・・」とかってぼやーん、と実感なかったけれど、ほんとに最近そう思います・・・
昨日も、あまりにきれいな夕日を見て、「すごいなぁ・・・こんな夕日を見せてもらえてありがたい・・・」とか、感動してしまった、超単純な自分です・・・(しかし、年を取るごとにどんどん単純になっていって、なんか、楽チンです・・・淡々といければいいやー、って思っているつもりが、こんなことにも、ぐわーっと感動したりして、結構淡々でもなく、過ぎていくのがすばらしい、とかまた思ってしまったり・・・苦笑)
似たような文面を誰かのブログで見たのか、それともデジャブーなのか?!
らふぁえるさんの心境はこんな感じかな?!
「生きてるだけで丸儲け!」 by さんま
*日記に書いたけど、ジミーちゃんの、「人のふり見て、どないすんねん!」がすごく気に入ってます。
らふぁえるさんの心境はこんな感じかな?!
「生きてるだけで丸儲け!」 by さんま
*日記に書いたけど、ジミーちゃんの、「人のふり見て、どないすんねん!」がすごく気に入ってます。
今、生きているこ、生かされていること自体が有難いです。
★Chiquitaちゃん、
私も少し前までは、使命とか目的とか、そんな事よく考えたけど、最近はそれが人生で一番大事な事じゃないというか、案外そんなに気負ったりするもんじゃないような気がして来た。
ドラマチックな人の人生はどうしても目につくし、マスコミにも取り上げられたりするけど、ある意味、ドラマチックじゃない人生なんてないのかも知れないネ。
そしてそれが普通なんだよね。
淡々と生きるというのは、平坦に生きるという意味ではないしね。
どれだけ小さな、他愛もない事に幸せを見つけられるか、それがその人の幸せ度だと思うんだ。
★ホセさん、
本当に、肉体を持って出来る事を楽しむ。
それが人生の醍醐味でしょう。
ネガティブな事、感情なんかも、肉体あってこそのもの。
だから毛嫌いしないで、それはそれって言うんでいいと思うんですよネ。
楽しんだもん勝ちですネ!
★ちえみ。さん、
ほんと、年取るごとに、人生が楽になるような気がします。
生き方というか。
淡々というのは、感動しないってことじゃないと思うし、人生の大きなアップダウンに対しても慌てず騒がず生き、小さな事に対しても、幸せを見いだしたり、ありがたく思えたり、感動したり、そうやって生きていく事が、端から見たら淡々と生きてるみたいに見えるんじゃないかな。
本当に、『ただ生きる』=『ただ在る』の心境で生きられたら、すばらしいなと思います。
私も徐々に、そうなりたいです。
★Maxiさん、
もしかしてそれは、Arrowさんのブログでは?
彼女もそんな感じの記事を書いてはりましたね。
Maxiさんの日記から、その映像見ました。
大笑いしましたよ。
私もその名言が、大好きです!
ありがとう。
★シロさん、
本当にそうですね。
この世は幻、という意味が、だんだん分かりかけているような気もしています。
幻でも、目一杯楽しんで、幸せになりましょう!
私も少し前までは、使命とか目的とか、そんな事よく考えたけど、最近はそれが人生で一番大事な事じゃないというか、案外そんなに気負ったりするもんじゃないような気がして来た。
ドラマチックな人の人生はどうしても目につくし、マスコミにも取り上げられたりするけど、ある意味、ドラマチックじゃない人生なんてないのかも知れないネ。
そしてそれが普通なんだよね。
淡々と生きるというのは、平坦に生きるという意味ではないしね。
どれだけ小さな、他愛もない事に幸せを見つけられるか、それがその人の幸せ度だと思うんだ。
★ホセさん、
本当に、肉体を持って出来る事を楽しむ。
それが人生の醍醐味でしょう。
ネガティブな事、感情なんかも、肉体あってこそのもの。
だから毛嫌いしないで、それはそれって言うんでいいと思うんですよネ。
楽しんだもん勝ちですネ!
★ちえみ。さん、
ほんと、年取るごとに、人生が楽になるような気がします。
生き方というか。
淡々というのは、感動しないってことじゃないと思うし、人生の大きなアップダウンに対しても慌てず騒がず生き、小さな事に対しても、幸せを見いだしたり、ありがたく思えたり、感動したり、そうやって生きていく事が、端から見たら淡々と生きてるみたいに見えるんじゃないかな。
本当に、『ただ生きる』=『ただ在る』の心境で生きられたら、すばらしいなと思います。
私も徐々に、そうなりたいです。
★Maxiさん、
もしかしてそれは、Arrowさんのブログでは?
彼女もそんな感じの記事を書いてはりましたね。
Maxiさんの日記から、その映像見ました。
大笑いしましたよ。
私もその名言が、大好きです!
ありがとう。
★シロさん、
本当にそうですね。
この世は幻、という意味が、だんだん分かりかけているような気もしています。
幻でも、目一杯楽しんで、幸せになりましょう!
今日のマヤンカレンダーのお言葉。自分にとっての「意味」や「価値」を手放す。無意味の中に真実があり、忘れていることの中に自分にとって大切な思い出がある。(高橋徹;マヤンカレンダー13の月の暦)
生も死も必然なのかな。。。
生も死も必然なのかな。。。
★にゃんこさん、
深い言葉だね。
ほんと、無意味の大切さというか、重要性って、結構ある気がする。
生きても良し、死んでも良し、そんな人生がいいネ。
深い言葉だね。
ほんと、無意味の大切さというか、重要性って、結構ある気がする。
生きても良し、死んでも良し、そんな人生がいいネ。
時々、何にしがみついているんだろうって思うことがあるよね。でも、それってみんな、たわいないことで、大事なことって、自分であることで。ただ、そのための努力はする必要があるな、とは思うのだ。まだまだ、自分であるために、やることはたくさんあるぜ〜!
★にゃんこさん、
肉体がある以上は、欲望はあってもいいと思ってます。
それも人間に生まれた醍醐味ね。
でもそれに執着するのは、また違う。
一番大事な事が分かってたら、後は人間である事を思いっきり楽しむ事ですネ!
自分は何をやってもやらなくても、自分だよ〜ん。
肉体がある以上は、欲望はあってもいいと思ってます。
それも人間に生まれた醍醐味ね。
でもそれに執着するのは、また違う。
一番大事な事が分かってたら、後は人間である事を思いっきり楽しむ事ですネ!
自分は何をやってもやらなくても、自分だよ〜ん。
そうか、だからこの日記があったのね。
ひょうひょうと答えるらふぁ、やっぱさすがだわ。だけど何よりも日本に帰国して正解だったって私は改めて思ったよ。らふぁはまだまだついてる、強運の持ち主って思ったよ。
ひょうひょうと答えるらふぁ、やっぱさすがだわ。だけど何よりも日本に帰国して正解だったって私は改めて思ったよ。らふぁはまだまだついてる、強運の持ち主って思ったよ。
★Kaipoちゃん、
んー、だからってことでもないけど、ま、そういうこと。
恵まれてる事は、否定しませんわ。
んー、だからってことでもないけど、ま、そういうこと。
恵まれてる事は、否定しませんわ。












今朝は特に(わたしのブログに書いたけど)。
そう、人がこの世に生を受けて、しかも、生き続けているというのは
それ自体が、すごい奇跡なのよね。
なら、人は
何か目的があって、この世に生を受けていると
思わざるを得ない。
その果たすべき役目は、人それぞれ。
何かを自分で成し遂げる人もいれば、
誰かを支えることが役目な人もいる。
「普通」って、あるようでない、という気が、最近しています。
どんなに淡々と生きている人でも、それぞれのストーリーがあって
それがドラマチックだったり。
それとも、私の周りにドラマチックな人が多いのかな?
(引き寄せてる!?)
タンタンと生きる。
自分の最善をその時々に尽くせば、それでいい。
わたしもそう思います。